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日本語版 (japonca versiyon) JAPON DIŞ TİCARET ÖRGÜTÜ-JETRO

挨拶要旨

県知事殿、国会議員殿、日本貿易振興機構(ジェトロ)ゼネラルマネージャーの山口様、ご来賓の皆様

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歴史的なシルクロードの西と東の両端に位置するトルコと日本は19世紀から現在に至って伝統的な友好関係を保持しております。オスマン帝国時代に公式な訪問を果たすために日本へ派遣された軍艦エルトゥールル号が1890年9月16日に日本の海岸で沈没し、609人いた乗組員のうち生存した69人の海兵が日本国の明治天皇の指示で比叡及び金剛という二隻の軍艦でイスタンブールへ送り返されました。この惨事が日本とトルコの間の理解や友好関係が強固な基礎を持つことのきっかけとなりました。

国会議員オスマン・オレン氏のリーダーシップで我が県の発展や開発並びに失業の減少のための活動として様々な事業を展開してまいりました。

この枠内で面談できた親愛なる日本人の皆様との間で非常なる文化的親近感を感じ受けました。4回ほど相互訪問を繰り返し、意見交換を行いました。

折角日本のビジネスマンの皆様がここにいらっしゃる貴重な機会なので、「なぜスィーリト県なのか」との疑問に答えるべくいくつかのテーマについて述べさせて頂きます。


日本は世界4位の輸入国であり、また4位の輸出国です。日本の貿易規模が1.5兆米ドルを超えています。日本の皆様は自国から何千キロメートルも遠く離れた場所で生産や販売を行うことができています。


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スィーリト県は世界経済において重要な役割を果たす「内陸の港」として受け止めるべきです。スィーリト県は国境に位置しておりませんが、国境の複数の都市の裏に位置しており、安全な生産及びロジスティックスの基地であり、隠れた庭園であります。ここで生産される製品が高品質で付加価値を有するものであれば、コスト計算に影響を与える運送費用が簡単に耐容できると考えています。


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スィーリト県は外国からの投資への準備を整えています。これから述べる促進対策について我が国政府が本年7月に発布している新しい促進制度は、ウィリアム・ポーターの開発モデルにおける第1条であるトータルコストリーダーシップを確保しております。産業省が用意しているテクノロジー及び研究開発センター並びに労働省が就業支援範囲で行っている活動がスィーリト県において労働できる若年人口の職業訓練を可能にし、投資家も労働者も得する仕組みになっています。

特にスィーリト県内に発展途中の大学の存在が投資家にとって必要な教育基盤を確保する上で非常に重要です。両国間の研究開発やイノベーションの分野で協力があれば、研究開発やイノベーションがグローバル化する現在、先進的な産業国である日本の企業がトルコの研究開発投資促進制度を利用して、求められる投資構造の確保に寄与ます。

トルコと日本の企業がトルコの周辺の中東、中央アジア、黒海沿岸諸国やアフリカにおいてインフラ投資や運輸及びエネルギーセクターの投資事業を共同で行うことができ、特にイラクがトルコと日本の企業にとって重要な協力領域になりうると考えており、イラクでは数千億米ドル規模の開発展望やアフリカの再開発を念頭に、欧州の生産において直面している危機を新たな機運に転じさせることは可能だと考えております。

ここへの投資の論理を強化する要因は他にもあります。

  • トルコと日本の強力な経済的パートナーシップによって、低カーボン経済への移行において協力が可能であり、エネルギーの効率性、環境にやさしいテクノロジーの産業への移植やそのための新しいテクノロジーの開発に加え、自然と共存関係にある開発アプローチのもとで発生するビジネスチャンスがトルコと日本の企業を新たな協力関係の構築へと指導できると考えております。

  • トルコが必要としている水道水浄水処理、家庭排水処理、廃棄物処理及び産業排水処理の課題に関して向こう10年から15年において少なくとも900億米ドル規模の投資機会が生まれるわけであって、低カーボン経済のグローバルな管理体制を構築するための共同作業に向かうことが重要だと認識しております。

  • アジアの遠く離れたこの二つの友好国が共同の理性でもって二国間経済関係の多様な体制を改めて構築し、既存の経済関係を次世代協力メカニズムで強化しながら強力な経済的パートナーシップを構成できる、という考えが、よりよい現状分析によって純粋な現実として現れています。

1990年に作られたトヨタトルコは25億米ドルに達する輸出収入でトルコの輸出リーダーになり、建設当時から現在にかけて12億ユーロの投資額でトルコの最大の生産施設の一つとなっています。サカルヤ県の生産施設は欧州におけるトヨタ社の生産合計の20%を供給しており、トルコ最大の自動車輸出企業の一つとなったトヨタトルコの成功ストーリーが未来を予想する上で重要な参考材料となっております。

日本の590億米ドルの売上高を誇る小売業最大手のイオングループがトルコの輸出業者44社と面談を行ったことが広く報道されています。日本側の関係者が、中国における品質の問題によりトルコが食料品供給においてオルタナティブの市場に育ちうるとの見方を示しており、トルコに注目に値する生産者が存在すると指摘しています。7月に日本の農林省の専門家が調査のためにトルコを訪問し、8月にトルコからのグレープフルーツの輸入が許可されたことが商業における相互の取り組みの一端を示しています。

日本は世界から620億米ドルの食料品輸入を行っており、またトルコはこの部門の重要なアクターの一つであることはご承知の通りです。トルコの重要な事業の一つであるウルスダムの完成と共にスィーリト県及び周辺の66,000ヘクタールの農地において近代的な技術による灌漑が可能になり、スィーリト県の戦略的地位に関して農業のポテンシャルがさらに高まると予想されています。近い未来においてスィーリト県はピスタチオや蜂蜜やザクロに関連する日本企業の注目を引くと存じ上げております。

日本のエネルギー部門におけるトルコとの協力をよりよく理解するためにポテンシャルトレンドを把握する必要があります。特に中東の石油が日本にとって非常に重要であり、日本の石油輸入の80%から90%がこれらの国からなされており、また天然ガスの輸入の23%がこの地域から購入されています。依存している中東エネルギー資源に対してオルタナティブを模索している日本はルートを炭化水素が豊富なロシアやイランや北アフリカや中欧アジア諸国に向けています。この過程で、日本とロシア、イランやリビア間で日本にとってエネルギーの安全確保及びオルタナティブルートになりうる様々な事業について作業が行われています。ロシアと日本の共同事業は「タイシェト - ナホトカ石油パイプライン」であり、日本とイランの共同事業は「アザデガンプロジェクト」です。20億米ドルのコストでイランと共に開発だれた「アザデガンプロジェクト」が日本が活動する世界最大の油田のひとつとして指摘されるアザデガン地域において継続しています。

日本は注目に値する計画や投資によって変化を来たすことができる興味深い国です。イランのための、リビアのための、旧ソ連諸国のための日本の投資事業は強固な取り組みの例であります。まるでグローバルな計画化を進めているようです。これらの計画化においてトルコの地理的・地域的なアドベンテージを協力関係に反映させ、貿易の条約を結んで発展させることは可能です。

トルコが向こう10年間で1000億米ドルを超えるエネルギー投資を行う予定であり、日本の多くの皆様がトルコのエネルギー関連事業に関心を示していることが重要です。

他方、行われたアンケート調査等によれば、日本の3000億米ドルから5000億米ドルの売上高を誇る多くの企業がトルコを十分に知っていないことが明らかになっています。従って、トルコが世界で非常に重要なアクターになっており、欧州最大の供給センターであることを十分に説明しなければなりません。

日本がトルコの様々なアドベンテージを活用でき、トルコの若い労働力を共同で活用して、日本企業が単独で参入しないコーカサス地域諸国や中東やアフリカ及び欧州に対してトルコを拠点に参入でき、日本とトルコの企業が共同で第三国において投資事業を行えるということを十分に知って頂ければと願っています。

トルコが様々な国と締結している自由貿易条約が日本にとってもアドベンテージを含んでおり、トルコにおける投資支援や研究開発促進制度を利用でき、欧州向けの輸出に際して関税を免除され、第三国向けの協力関係を構築できるということも是非お伝えしてまいりたいと考えています。

最後になりますが、スィーリト県は最新の促進制度によって投資に関する魅力が増加しておりますので、その支援内容に触れたいと思います。皆様のために7月に促進制度関連のプレゼンテーションの英文を既に配布しております。



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2010年がトルコにおける日本年として定められて依頼、日本とトルコの相互関係が発展し、貿易が盛んになり、これによって両国間の協力や新たな投資領域において居場所を見つけることが可能となっております。

最後に、海洋冒険家ヘンリーが北アフリカで互いの言葉を解さない種族同士のために開発された「静かな商売」に関するストーリーを伝えたいと思います。モロッコからアトラス山脈を越えて南に下るムスリムのキャラヴァンは20日後にセネガル川の辺にたどり着いていました。商人は塩や珊瑚のビーズや様々な品を山積みにして、視界から離れていました。金山の周辺で暮らす現地人種族は川辺に来てモロッコ人の商人のおいた品々の山の下に金をおいて戻っていました。モロッコ人商人はまた現れ、金をとって品を置いていくか、金の分量が少なければ品を減らして置いていくことにしていました。このやり取りがずっと続いていたわけです。商売は「静かな商売」から音声も多様な商売へと年々変化しています。この変化の流れは発展途上の構造の強化において大きな役割を果たすことが期待されています。商業が文化や人間を互いに近づけている世界において地理的地位の重要性は明らかだと存じ上げます。

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